Oops! It appears that you have disabled your Javascript. In order for you to see this page as it is meant to appear, we ask that you please re-enable your Javascript!

会社の話5

rawpixel / Pixabay

つづきものです。すごーくお時間がある方は↓からどうぞ。

会社の話1

会社の話2

会社の話3

会社の話4

スポンサーリンク

関連商品の会社

株式会社ジー・ピー・エスは、ゴダイゴ関連商品や書籍を扱う会社。(『ゴダイゴ 永遠のオデュッセイア』p.199)

(株)ジー・ピー・エスの社長は、日本コロムビアのゴダイゴ担当ディレクターだった清水美喜夫さんの奥様で、ジョニーさんの妹さんでもある清水マリアさん。清水さんは、ジョニーさんと知り合いになる前から、マリアさんとは知り合いだったとか。(『Walk On 18号』1980年5・6月)

(株)ジー・ピー・エスは、ゴダイゴ関連商品を扱う会社、ということで、んー、”Godeigo Products Service”の略かな?

知らんけど。(  ̄3 ̄)~♪. ♪~

(無責任発言を心よりお詫び申し上げます。)

ゴダイゴグッズ

ゴダイゴグッズといえば、ゴダイゴTシャツとか、キャップとか、鉛筆とかいろいろあった。

ファンクラブの通販で、カレンダーを買ったことがある。だいぶ後だけど、『マジック・カプセル』のビデオ(VHS)も買ったな。ビデオデッキも持ってなかったのに。

会報19号

会報19号

 

なのに、当時買ったグッズがまったく残っていないとは、一体全体どういう了見なんだ!?

これなーんだ?

なんだ!? このうす汚れたシールは?

38年間の歴史ですよ。

2枚しか残ってないの!?

奇跡の2枚です!(キリッ)

 

 

 

 

すごい好きだったやつ

当時のゴダイゴのグッズで筆者が気に入っていたのは、レターセット。筆者の記憶では便せんも封筒もグレー地だったような気がする。で、紙質が良かったと思う。便せん上部中央に、ゴダイゴのロゴ。すごくスタイリッシュだった。(上部会報19号画像右下参照)

上記の写真に写っているのは、奇跡的に2枚残っている封緘用のシール。銀色地にゴダイゴのロゴ。やっぱ、カッコイイ。19号のレターセットはアサノさんデザインの新製品だったみたい。

あーあ、とっても気に入っていたのに、今は便せんも封筒も一枚も残っていない。長~~~~~い間、使わずにとって置いたんだけど、90年代の半ば頃だったか、世紀末を間近にヤケになっていたのか、「もういいかな」と思って、一枚、また一枚と、使ってしまった……。

一枚も残ってない、ということは、全部、使っちゃったんだな。まったく、どこに手紙なんか出したんだろう……。

それも、ず~~~~~~~っと大事にしていたゴダイゴのロゴ入りの便せんと封筒で。

なんでもほしいおとしごろ

GPS 18号

会報18号

筆者が「会費をおこづかいから払う!」と宣言し、やっと親の許しを得てファンクラブに入会したのは、17号(1980年3・4月 楽譜掲載:「リターン トゥ アフリカ」)、18号(1980年5・6月 楽譜掲載「ポートピア」)あたり。

当時、ゴダイゴの名前が入っているものなら何でもほしかった。ただ、おこづかいが限られていたから買えるものといえばたかがしれている。レコードもじゃんじゃん出てたし。

おこづかいで手が届くグッズといえば、百円単位のものしかなかった。でもグッズが手元に届いたときは「”Godiego”って入ってるぅぅぅ~」とか言って、本当にうれしかったな~。思い出すだけで胸がいっぱいになる。(当時は筆者もかわいかったのだ)

マスコットキャラクター

ゴダイゴのマスコットキャラクターにスマーフが使われていた時期があった。筆者は、顔色が悪いスマーフを全然かわいいと思えなかった。いったいなぜゴダイゴは、いや、(株)ジー・ピー・エスは、このキャラクターをマスコットにしたのか疑問だった。

Wikipediaを信じるならば、スマーフはベルギーの漫画家のペヨ(本名ピエール・クリフォール)の作品に登場するキャラクター。初登場は1958年。70年代後半にアメリカで関連商品がブームになり、アニメ化されたほどの人気だったのだとか。日本でも人気があるっぽい。(「スマーフ」Wikipedia 閲覧日2018/09/04

へー、そんなに有名なキャラクターだったのか。

え、常識? σ(。・・。)?

いずれにせよ、(株)ジー・ピー・エスは(ゴダイゴは)、この当時、ヨーロッパ生まれのキャラクターをマスコットに採用していた。おしゃれ~。(誰? 顔色が悪いとかゆってたの?)

つまりスマーフはゴダイゴのオリジナルキャラクターじゃない。ということは、(株)ジー・ピー・エスがしかるべき機関からキャラクター利用許諾を正式に受け、正式に使用料を支払ったうえで、正式な契約のもとに名称とキャラクターを正式に使用していたに違いない。社会通念上、また、創作者への敬意を示す意味でも当然だ。ディ

ゴダイゴのマスコットとしてスマーフがマスメディアに登場したのは、79年の「セレブレーションツアー」のパンフレットのほか、同年発行の芸能誌2誌といわれている。(『IN THE BOOK OF “G-DAY” Vol.1 特集「’79年ゴダイゴの時代」』p.138)

すなわちある時期から、スマーフがゴダイゴのマスコットキャラクターとして使われなくなったということになる。おそらく79年後半以降か。

『Walk On』20号(1980年9-10月 楽譜掲載:”Coming Together in Kathmandu”)で、直前のファンクラブ主催徳之島ツアーのオリジナルキャラクターをファンクラブの新キャラクターにすることが発表され、名称が募集された。また、21号(1980年11・12月 楽譜掲載:”After the Rain”)のゴダイゴ関連商品ページで、鉛筆セットの変更が明記されている。よって、この時期までにはスマーフの利用許諾契約が切れ、契約更新をしなかったと推測される。

スマーフ使用許諾の契約期間満了に際し、(株)ジー・ピー・エスは、経営戦略的なアレで契約更新をしなかったのかもしれない。

おわりに

ここまでかつてゴダイゴを支えた各社について、つらつらと書いてみた。

ひとつの元号が終わり、世紀を超え、また変化をむかえる。うねる時代のまにまに、大理石で築かれた城壁はひび割れ、砕け、剥がれ落ちた。

この世は諸行無常。佇んではいられない。これこそ「前進する。歩が止まろうとも、なお先へ」という命題への希求である。

21世紀初頭

ゴダイゴは

今、ここにある。

「会社の話」おわり。

参考文献

Blog
スポンサーリンク
tiara _remixをフォローする
Miscellany

コメント

  1. あと、ひとつ思い出したのですが、「音楽出版社エンダ事件」で検索すると「東京地判平成12年11月30日」というページがトップに来ます(URLコピペできないので 略)。この判例の中で野村氏、竹内氏の名前も出てきます。実際の訴訟に絡むものではなく、被告人から受け継いだ会社が「音楽出版館」というだけなのですが、自分はひょっとしたらこれがゴダイゴカンパニーの元々の法人じゃないか?と勘繰っています(汗)。

    • ABCDE気持さん

      興味深い情報ありがとうございます。

      ご紹介いただいたサイトを読みました。
      登場人物が最近あちこちで見たことがある名前ばかりで……。

      ご指摘されるように、レビュー・ジャパン閉鎖時には(株)ゴダイゴはきっとあったのでしょう。でも、不思議なのは、あれだけ情報量が多い『ゴダイゴ 永遠のオデュッセイア』で事務所閉鎖に触れる際に、なぜ、(株)ゴダイゴに言及されなかったのか、ということです。

      77年から78年ごろには、表面化されないもちゃもちゃがあったのでしょうね。

  2. ジェニカグループの情報は、表向きのバンドの経歴・実績と違い、なかなか情報を探り出すのが難しく、自分も今なおいくつかの疑問を抱えています。その中からいくつか。

    <(株)ゴダイゴ>
    アーティストマネジメント部門の(株)ゴダイゴですが、MCA日本支社=レビュージャパンの閉鎖(1977年末)以前からあったようです。

    「コンフィデンス年鑑1977年版」(のちのオリコンで、76年度のチャート記録を掲載)のプロダクション一覧(P.235)には(株)ゴダイゴが、音楽出版社・楽譜出版社一覧(P.252)にはMCAミュージックが掲載されています。住所同じ渋谷区代々木で、代表者は共にサルバトーレ・T・キャンディア氏。

    それが、同1979年版(78年度の記録掲載)になると閉鎖したMCAはなくなり、プロダクション一覧(P.198)に(株)ゴダイゴ、音楽出版社一覧(P.217)にはジェニカ・ミュージックが新たに載ります。この78年当時は代表者が竹内健司氏になっています。住所は港区南青山に移転。翌年の80年版では代表者も野村威温(ジョニー)氏に変更。

    <グループ会社追加>
    FC会報「Walk On」21号(1980年11月頃発行)の最終ページに、LP「中国后醍醐」の発売告知が掲載されていますが、このページの下部分で「ジェニカ・ミュージック グループ」として既存の5社に加えて、(株)MLS、(株)音楽出版館、(株)音楽館 の3社が追加されています。

    特に注目なのが、奈良橋さん主宰のMLS(=Model Language Studio)が名を連ねている点。ちょうどこの時期に奈良橋さんがゴダイゴの制作から手を引いているだけに、グループの加入・脱退の経緯等も含めて興味深いですが、却って謎が深まります…。

    • ABCDE気持さん

      コメントありがとうございます。

      つか、はやっ……o _ _)ノ彡☆ばんばん!!

      <(株)ゴダイゴ>
      アーティストマネジメント部門の(株)ゴダイゴですが、MCA日本支社=レビュージャパンの閉鎖(1977年末)以前からあったようです。

      へー。でもレビュー・ジャパンと(株)ゴダイゴの併設は考えにくいな~。

      「コンフィデンス年鑑1977年版」(のちのオリコンで、76年度のチャート記録を掲載)のプロダクション一覧(P.235)には(株)ゴダイゴが、音楽出版社・楽譜出版社一覧(P.252)にはMCAミュージックが掲載されています。代表者は共にサルバトーレ・T・キャンディア氏。

      なるほど。これでいくつか私の疑問が解消されました。

      ABCDE気持さんのコメントを受けた私のイメージは以下のとおりです。

       77年12月 MCA社長のミスター・キャンティ(『永遠の』p.35)が突然MCAの閉鎖を宣言する。(p.79)
      77年内/78年1月 (株)ゴダイゴ、(株)ジェニカ・ミュージック設立。
      (株)ゴダイゴ社長:ジョニーさん
      (株)ジェニカ・ミュージック社長:「竹内さんとかスタッフは同じ」(『永遠の』p.80)というミッキーの言から、レビュー・ジャパンの竹内さん。

      レビュー・ジャパン閉鎖が77年12月。『CMソンググラフィティ1』の発売を78年1月に控えていたので、速攻、つまり77年中に会社設立したのもアリかなと……。

      『コンフィデンス年鑑』の発行日が分からないのですが、発売日、もしくは版の兼ね合いで修正がかかった可能性も?

      うーん、ナゾですな~。

      あっ、『永遠の』で言及される「MCA社長のミスター・キャンティ」(p.35)とは、『コンフィデンス年鑑』にMCAミュージックの代表者として記載されているサルバトーレ・T・キャンディア氏のことじゃないでしょうか。

      また、彼がMCA(親会社)の社長か、MCAミュージック(子会社)の社長か分からなかったのですが、これでレヴュー・ジャパンがMCAミュージックの日本支社ということが分かりました! ありがとうございます!

      FC会報「Walk On」21号(1980年11月頃発行)の最終ページに、LP「中国后醍醐」の発売告知が掲載されていますが、このページの下部分で「ジェニカ・ミュージック グループ」として既存の5社に加えて、(株)MLS、(株)音楽出版館、(株)音楽館 の3社が追加されています。

      おー、ホントだ! 確かに載ってます!(見てなかった! (^^ゞ)
      事業拡大を目指したのでしょうね。

      特に注目なのが、奈良橋さん主宰のMLS(=Model Language Studio)が名を連ねている点。

      MLS設立は74年です。(奈良橋陽子『ハリウッドと日本をつなぐ』文藝春秋2014、p.144)
      (株)ゴダイゴ設立前ということになります。

      推測の域を出ませんが、奈良橋さんは社長じゃなかったんじゃないかな。
      グループ会社に参入するにあたり、MLSの経営陣が、客観的に、つまり経営戦略上有益だと判断したから、グループに参入したのではないでしょうか。

      『ゴダイゴ 永遠のオデュッセイア』(1980)で、グループ会社の各役割が列挙される流れで、「言葉というのは文化だから、言葉を教える学校(MLS)をやる。」との言及があります(p.199)。MLSは奈良橋さんがやっている学校で、ゴダイゴ関連から独立していると思っていた私は、当時、違和感を覚えました。

      またなにか気づいたことがあればおしえてくださいね。

      • 「コンフィデンス年鑑 1977年版」は1977年9月1日刊行です(URLがコピペできないのでリンク貼れませんが、↑の書名で検索すると国会図書館とアマゾンの取扱ページが出てきます)。ですのでその77年版に掲載されていることから、(株)ゴダイゴはMCA=レビュージャパンと併設していることの証明になるかと思います。77年版では(株)ゴダイゴの代表者名もキャンディア氏になっていますし。

error: