2012/12/26 タケソロ レポ その3

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2012/12/26 タケソロ レポ その1
2012/12/26 タケソロ レポ その2

“Pretty White Bird”が終わると、舟山さんは一旦退場。

ステージにはタケが一人残る。

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来年の企画とか

MC:今回のCD(“Happiness”+「リエナ」)の件、来年の企画とか。
タケ「昔の曲を新しいアレンジでやるのは意外と楽しい」

と嬉しそうに。

タケのMCを聞きながら、もしかしたら昔の曲をタケ作詞の日本語詞にして再アレンジするというパターンは、これからも続くのだろうか、と考えたら、ゾクッときた。カゼかな~。(~_~;)

さらにタケは来年、他人のヒット曲のカバーアルバムを企画している。何回か前のアンケートでタケに歌って欲しい曲が募集されていた。その中から曲を抜粋すると言う。

たとえば「ルビーの指環」(by寺尾聰)とか「異邦人」(by久保田早紀)が候補に挙がっている。「ルビーの指環」は、ゴダイゴ生みの親が寺尾聰さんだということもあって選んだ。

寺尾聰さんとの関係

ゴダイゴと寺尾聰さんの関係は、『走り去るロマン』当時に遡る。その頃、タケとミッキーは二人で映画『バージン・ブルース』(1974、日活、藤田敏八監督)の音楽を担当することになっていた。

ところがミッキーは、寺尾さんのアルバムを作るという目的で、ハワイへ行くことになる。その直前に、『走り去るロマン』の完成テープがレコード会社からミッキーの手に渡っていたため、ミッキーは音楽に関してはこのテープだけを携えてハワイへ発つ。寺尾さんも音楽を何も持って行ってなかったので、ハワイでタケのアルバムをずっと聴いていた。

タケのアルバムをいたく気に入った寺尾さんは、ミッキーにタケとバンドをやることを強く勧める。それがきっかけとなって、ミッキーはタケとツアーに行くことになる。
ざっと言うと、こんなエピソードだったと思う。

一方タケは

さて、ミッキーがハワイに行っている間、一人日本に残されたタケは、初めての映画音楽担当に、どんな状況だったのだろうか。MCでは語られなかった別の側面からタケの奮闘ぶりを見てみよう。(以下、引用は「MORエッセイ その90 バージン・ブルース」『FMレコパル』1985年、第5号、pp.120-121)

 そのころ、映画音楽は、映画のシーンに、完全に合わせて作られるもので、実際の録音は、映画の編集が終わった後に、2、3日で済ましてしまうのが、通常だった。
したがって、僕らは、音楽の打ち合わせもままならないまま、ただひたすらスタンバイして待っている事になる。
しかし、一度、GOのサインが出たら、あっという間に、作って、録音しなければならない。
ところが、ミッキーは、アメリカ留学から帰国して、時間が経っていなかったので、その辺の事情をよく知らなかったらしく、やはり、帰国早々、意気投合した寺尾聰とハワイに、録音に出かけてしまったのだ。
彼が、日本をたったのは、もちろん、編集が終わる予定だった日どりの、何週間も前の事だったから、僕は、当然安心していた。
ところが、明日、編集が終わるという日になっても、ちっとも、帰って来ないじゃないか。
僕は観念した。
監督の注文は、その当時の映画音楽が、すべてそうだったように、当然、インストゥルメンタルのものばかりだった。
自慢じゃないけど、僕は、その時までインストゥルメンタルの曲は、書いた事がないんだゾ。
(中略)
インストゥルメンタルを書いた事がないなどと、自慢をしてもしかたがない僕は、
「まかしといてください」
と、大ミエを切って、打ち合わせからもどって来た。
それても、僕は、いろいろと考えたのだ。
出来上がったばかりで、まだ発売まで間があった『走り去るロマン』という、ソロ・アルバムの中の曲のモチーフを使って、あれこれ、シーンに合わせて、アレンジを考えていたのだ。
しかし、困ったのは、『テーマ』だった。
僕は、元来、『テーマ」と言うと、もう、すぐ『テーマ・ソング』を考えてしまうタチで、とても唄なしでそれを作るなどという感覚を持ち合わせていなかったのだ。

「テーマ」に困ったタケは、映画のプロデューサーに相談する。そして彼のアドバイスにより、当時では珍しかったシンセサイザーやリズムボックスと悪戦苦闘し、暗中模索、試行錯誤、紆余曲折の後、一曲仕上げる。

しかし、出来上がった曲は「非常に宇宙的な曲で、(中略)あまりにも人間味に欠けていた」。

再び、困った僕は、曲の途中で、テンポを変える事を思い着き、ああでもないこうこうでもないと、いろいろやったあげく出来上がったときには、その曲の録音、一曲分だけで、映画音楽の予算をほとんど食いつぶしていたのだ。(おまけにこの曲はボツになった〉
結局、すべての音楽を録り終えたときには、完全な赤字になっていた。
こうして、僕の記念すべき、初の映画音楽の仕事は、ノー・ギャラで終わったのだ。
ミッキーは、録音後、何日かしてから
「ごめん、ごめん」
と言いながら帰って来た。
しかし、映画が完成してから、録音の作業をやったために、字幕には大さく、
音楽
ミッキー吉野
タケカワユキヒデ
と出たのだった。

筆者はこの作品自体を見てはいないが、タケが未だに冗談のように話題にするからには、本編の画面上でタケよりミッキーの名前が先に出ているのは事実なのだろう。しかし実は、2012/12/30現在、日活『バージン・ブルース』DVD LINEUPSサイト上では「音楽:武川行秀(タケカワ・ユキヒデ)+ミッキー・吉野」と、タケの名前が先にクレジットされている。

ゴダイゴのヒット曲が出た後に、誰かが何らかの意図でクレジットの順序を入れ替えたのかもしれないな。

まぁ、これはここだけの話ということで……。(*^^*)

「2012/12/26 タケソロ レポ その4」へ、つづく。

何の話してたんだっけ……。
今回は一曲も進んでない……。
\(_ _ ;)

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