なにゆえジョニーさんが?
何のキッカケだったか忘れたが、Will Willams氏=ジョニーさんだと知った時、なぜジョニーさんが詞を書くのか不思議に思った。
アルバム『新創世紀』(1976)から、いや、遡れば『走り去るロマン』(1975)から、ゴダイゴ/タケソロのほとんどの歌詞を奈良橋氏が担っていた。
しかし、アルバムM.O.R.(1981)以降、奈良橋氏による歌詞は激減する。M.O.R.での奈良橋氏の歌詞は、”River Keep Running”一曲のみ。次に発表されたFLOWER(1984)でも”Carry Love”(1983年9月1日シングルリリース)しか収録されていない。だが”Carry Love”は、もともとAGFのCM曲である。『Walk On 38号』(1983年9・10月号)でタケが「アルバムに入るかも」と言っているので、アルバム用に制作された曲ではないことは確かだ。つまり、一歩違えば、FLOWERには、奈良橋氏の詞が一曲も入っていなかったかもしれないのである。そしてONE DIMENSION MAN(1984)は、すべてWilliams氏による詞であり、奈良橋氏の名前はない。
はみだしQ&A
『Walk On 32号』(1982年9・10月号)の「はみだしQ&A」に、鋭いファンからの質問が掲載されている。この質問は、多くのファンから寄せられていたようだ。
Q. M.O.R.から奈良橋さんの詞が少ないように思うのですがなぜなのでしょうか?
ジョニーさんによる回答は、次のとおりである。
A. 簡単に行っちゃうとヒマがないんですよ。いや単に忙しいということじゃないんだよ。M.O.R.にしても詞の方向性が合わない、という部分がまずあるんだね。詞が悪いというんじゃなくて向いていないんだ。作詞家としての流れ……時期みたいなこともあって、方向を合わせるのには時間もかかるわけなんだよ。いくつか詞はあるんだけどまだ使ってはいないね。それに実際にも忙しくてヒマがない、というのもあるんだな。これが理由です。(n.peg.)
だからといって、一体どうしてジョニーさんが……?
いや、詞の出来云々を言っているのではない。筆者はどちらかというと、ゴダイゴの歌詞に関しては、ジョニーさんじゃなかった、Williams氏の作品の方が好きだ。それがセールスに反映されないのが、残念なところだけれども。
どこをどうやると、ジョニーさんが?
筆者のジョニーさん観は、ゴダイゴのプロデューサーであり、それよりずっと前はドラムを叩いていたらしいことくらい。つまりジョニーさんに対して「作詞家」という見方は全くなかった。だからなおさら、ジョニーさんが作詞をすることが不思議でならなかった。どこをどうやると、ジョニーさんが詞を書くっていう話の展開になるんだろうか。
まぁ、そりゃ奈良橋氏だって、ジョニーさんによれば、フラワー・トラベリン・バンドがカナダに行って、歌詞入りの曲をやるために作詞家を探すことになり、側近だったジョニーさんが紆余曲折の後、ふと奈良橋氏の「手紙を想い出して、そういえばヨーコ、文章も、手紙もムダのない人だなって気がして……。ヨーコに(作詞を)『やる?』といったら、『やる』というわけ。……作詞家ヨーコの誕生ね。ハハハ」(『ゴダイゴ 永遠のオデュッセイア』徳間書店 1980、p.127)てな経緯で、ひょんなことから作詞を手がけることになった模様である。
わかった!
最近、『ゴダイゴ 永遠のオデュッセイア』を読んで、なぜジョニーさんが歌詞を書くのか、わかった。
結論からいえばジョニーさんには、幼い頃から「詩」の素養があった。ジョニーさんのお母様はルーマニアの方で、小学校に入る前のジョニーさんにプーシキン(1799-1837)などのロシアの詩を感情豊かに教えた。ジョニーさんは、お母様の教える詩をたくさん覚え、ロシア人クラブで、詩の朗読をお母様譲りの感情表現とともに発表することもあった。幼いジョニーさんの詩の朗読に、涙を流す人もいたという。(同、p.90)
なるほどね。ジョニーさんが詞を書くのは、ゴダイゴにとっては、さほど突飛なアイディアではなかったんだろうな。
『ゴダイゴ 永遠のオデュッセイア』には、ゴダイゴの話題の他にも、ジョニーさんや奈良橋氏のバックグラウンドにも結構なページ数が割かれている。この本を買った当時、正直、ゴダイゴ以外に興味がなかったから、他の頁は飛ばし読み、というか、ほとんど、いや、まったく読んでなかった。だってどうでも良かったんだもん(笑)。だが、たまには読んでみるもんだな。これで長年のナゾが解けた。
『ゴダイゴ 永遠のオデュッセイア』って、今となっては貴重な資料だ。
それにしても、Amazonマーケットプレイスで、2012年01月19日(木)現在、2万円以上の値が付いてる。ちょ~~ビックリした。
コメント
青空さん
コメントありがとうございます。
> その4 タケの養女とはレナさんである(え~っ!?)
これには爆笑しました。そんな説があったなんて!!
すごいな~。
情報があまりなくて、珍説が広まるのもどうかと思いますが(笑)、昨今のように情報が瞬時に錯綜する状況も、一概にいいとは言い切れない場合もあります。私なんぞは情報に振り回されがちなので……。(^^ゞ
Bluebellさん
コメントありがとうございます。
> もしも、ゴダイゴの側が奈良橋陽子さんの能力を必要としていても、奈良橋さんには別に本業がある訳だから、別れたら「内助の功」は止めて、ご自分の本業に集中したかったのかも知れませんよね?
そうですね。かつてのSteveの時のように。 ゴダイゴ側が、奈良橋氏の本業に専心する意志を尊重したということも考えられますね。
tiaraさん、こんばんは。
昔は情報がほんとに少なくて、わからないことだらけでしたよね(@_@。
私に強引にFLOWERを貸し出し、強引にインターミッションに誘ってくれた友達から、解散が決まった当時聞いた話がいくつかあって・・・。
(友達は追っかけの方と知り合いだったのでした)
その1 ニューアルバムが出てます。ファイナルではこの中から必ず何曲かやるはず。(正しかった)
その2 W.William氏の正体はジョニーさんである。(これも正しい情報でした)
その3 ジョニーさん夫妻が離婚してからゴダイゴはゴタゴタ続きで解散は時間の問題だった(悲しいけれどこの話は部分的には真実かも。原因ではなく時系列として。)
その4 タケの養女とはレナさんである(え~っ!?)
・・・よくこんな情報不足の中、みんなファンを続けていたと思います。
昔まったく知らず、今は常識のようになっている話もたくさん(というかその方が多いかも)あります。
でもこんなにたくさんの情報を共有できる時代になって、またゴダイゴに出会えてよかったなぁと心から思いますよ~。
もしも、ゴダイゴの側が奈良橋陽子さんの能力を必要としていても、奈良橋さんには別に本業がある訳だから、別れたら「内助の功」は止めて、ご自分の本業に集中したかったのかも知れませんよね?
そういえば、海外(米国?)でのゴダイゴのライヴに対して、現地の音楽評論家から「ゴダイゴは歌詞の内容が愛とか平和とかで、ロックらしくない!」というようなことを言われたという話を、インターミッションより前に、何かで読んだ記憶もあります。
ジョニー野村さんと奈良橋陽子さんがブレインだったからこそ、私はゴダイゴをアカデミックに感じたんだなぁと、最近は、お二人の偉業として観点からゴダイゴを観ております。
Bluebellさん
コメントありがとうございます。
> ジョニーさんが歌詞も担当するようになったのは、奈良橋さんと離婚したからだと、当時、どこかで聞いたように記憶しています。
私には、ゴダイゴの作詞が奈良橋氏からジョニーさんに代わった真相は分かりません。
ただ、プロデューサーであるジョニーさんが、奈良橋氏の歌詞がゴダイゴにとって有益だと思えば、私情はどうであろうと、作詞家/ブレーンの一人として彼女は残ったのではないかと思っています。
離婚だけが原因ではないと思いたいです。
1999年以降の作品と、インターミッションまでの作品を比べると、ゴダイゴの作品のコンセプトの質が違うように感じます…。
もしかしたら、ゴダイゴで表現する内容は、ジョニー野村さんと奈良橋陽子さんが、二人で考えていたのではないかしら?
ジョニーさんが歌詞も担当するようになったのは、奈良橋さんと離婚したからだと、当時、どこかで聞いたように記憶しています。