GODIEGO

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ここのところ別件で少々拘束されておりましてね、どうにも身動きが取れない。

そんな毎日にそろそろ嫌気がさしてきまして、現実逃避のためにオフィシャルサイトを覗いてみたんです。「5分間だけ」のつもりで。そうしたら、どうしても気になる点が……。

オフィシャルサイトによれば、「ゴダイゴ」(GODIEGO)の意味は「死ぬまでやろう」ということですねぇ。(*『新創世紀』ジャケットのすぐ上あたり。閲覧日2013/02/16)

筆者としたことが、今まで、オフィシャルサイトをきちんと読んでいなかったんでしょう。全然気がつきませんでしたよ。筆者は1978年末頃ゴダイゴファンになってから2013年の今日まで、“GODIEGO”の意味は、「(たとえ)死んでも(前へ進んで)行こう」だと理解していたんです。しかし、オフィシャルサイトでは、「死ぬまで」になっています。

なんだか気になりますねぇ……。

なぜなら「死んでも」と「死ぬまで」は、存外意味が異なるものですよ。

今さらながら“GODIEGO”とは、どのような意味なのでしょう。

気になると、どうしても確かめずにはいられない性分なんです。

こんなことをやっている場合ではないのですがねぇ……。

一つだけ資料をご紹介しましょう。1991年発売『旧BOX』のブックレットです。ここには「ゴダイゴ」すなわち“GO-DIE-GO”とは、まず「“行く、死ぬ、そして再び生きる”という不滅のスピリットを意味」と書いてあります。次に「神のエゴ」が挙げられています。(中村俊夫・市川清師、「GODIEGO HISTORY」)

もう一つよろしいですか? 『ゴダイゴ 永遠のオデュッセイア』(徳間書店、1980)では、ゴダイゴの意味についてミッキーがこう言っています。

(ミッキーが「後醍醐天皇」の名前を思いついた後)74年の3月かな、ニュ?ヨーク近郊のウッドストックに演奏に行くボロ車のなかで、スティーヴが、「ゴダイゴのスペル、Go Die Goってのはどうだろう」って叫んで、結局、(<Dai>から)<Die>にしたわけ。

そこから、じゃあ考えようって、まず「ゴダイゴ」の意味を調べた。「醍醐」って意味を調べたのね、日本語の。そうしたら、「如来の真実の最上の教え」っていうのが出てきたの。それで「アッ、それなら」って見てたら、GODなんだよね。GODでしょ。iをとってego(エゴ)。GOD EGO(ゴッド・エゴ)。これは神の利己主義だ。「神の利己主義は真実である」と解釈して、英語でも日本語でも同じ意味になる。

それからこんど分けてみると、まあGo Die Goで、「絶対あきらめずに行く」となる。後醍醐天皇っていうのは、一回島流しにあって、また復権したでしょ。「これもゴー・ダイ・ゴーだ。すべてにこれ一致してる。これ以上の名前はない」とかいってきたの。まあ何ていうんだろうな、コジツケか、ウフフフ。うん、輪廻の思想もあるよ。ゴー・ダイ・ゴーっていうのは、限りなく生き続ける……。(137-138)

最後にもうひとつだけ。

さっき米沢さんが「志ん朝のお礼」と言って持ってきてくれたんですがね、『ゴダイゴ PART1』(すばる書房、1979)です。ここではミッキーの言葉をそのままではなく、ライターさんが纏め直したようですねぇ。それはともかく、ちょっと見てみましょう。

タケカワ、ミッキー、さらにスティーヴ、浅野らが加わったグループはミッキーの発案でゴダイゴとなる。“後醍醐天皇”の響きとムードになんともいえぬ「存在感」があること、滞米中にすでにそのネーミングを胸に秘めていたことがミッキーの口から語られると、反対するものはすでに誰もいない。

突然、スティーヴが立ち上がった。「GO! (行け)」「DIE(死んでも)」「GO! (行け)」と高らかに叫んで喝采の拍手を浴びる。これでグループ名は『ゴダイゴ』と決定した。ミッキーは今度は膝を叩いて叫んだ。「これは大発見である! この文字を分解すれば、God (i) ego、つまり、≪神のエゴ≫となるではないか。(51-54)

これまで見てきた三つの資料では、ほぼ同じ事が書かれていますねぇ。ですから“GODIEGO”とは「絶対に諦めない」(“never give up”)という不屈の精神の比喩だと筆者は長年理解していたのですが、オフィシャルサイトを見ると、どうもそれは誤解だったようですねぇ……。

ですが、オフィシャルサイトに記載されている「死ぬまで」とは、ミッキーが言ったとされる「輪廻の思想」を否定しているようにも響くのですがねぇ。つまり「死んだら終わり」ということになりはしませんかねぇ。そこには肉体的限界と諦念が含まれているようにも取れるのですよ。もし“GODIEGO”の意味が、本当に「死ぬまでやろう」ならば、二つ目の“GO”は、何のために置かれているのでしょう。“GODIE”で十分じゃありませんか。

もちろん、オフィシャルサイトが事実無根な情報を載せるはずがありません。オフィシャルサイトが「死ぬまで」と明記しているならば、オフィシャルサイトに書かれていることが真実なのでしょう。なぜならばオフィシャルサイトなんですから。だとすれば“GODIEGO”の意味には、元々「死ぬまで」と限界を提示していたにもかかわらず、かつてメディアによってそれが歪曲された可能性も否定はできません。それも複数の媒体で。同じように。いえ、これは一つの可能性として言っているまでです。

でなければ、ある時点で何らかの理由から意図的に意味を変えた、ということもありえます。「死んでも」から「死ぬまで」へ。

もしかしたら1999年から現在までのどこかで“DIE”を、甚だ生々しい肉体的な死を示すことにしたのかもしれません。たとえば恒久的再結成にあたり、肉体の限界を感じつつあったメンバーの意識を反映させて、文字通り「死ぬまでやろう」という決意表明にした、など。それを機に、“GODIEGO”という名が持つ意味合いを精神論から肉体論へ変えたのかもしれません。そしてそれは筆者がゴダイゴファンから離脱している間に公表され、すでに常識になっているのかもしれません。だとしたら筆者はファンとして非常に恥ずかしい。これが筆者の単なる事実誤認もしくは無知の産物ならば、一向に構わないのですがねぇ……。

“GODIEGO”の意味は「死ぬまでやろう」なのでしょうか。それとも「死んでも行こう」なのでしょうか。精神論から肉体論へ変わったとしたら、いつ変わったのでしょうか。

興味は尽きませんねぇ。

おやおや、これは失礼。

こんなことを考えても詮無いこと。それは分かっているのですがねぇ。ついつい細かいところまで気になってしまうのが筆者の悪い癖。

いずれにせよ、“GODIEGO”とは、哲学的含意のある/あった、なんといい名前なのでしょうねぇ……。

結局5分じゃ済みませんでしたよ、カイトくん。
少なくとも、淀川長治さんのモノマネだと誤解されなければ良いのですがねぇ……。

ゴダイゴ
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コメント

  1. ゴダイゴ関係のサイトは個人の所有物が多いから、たとえ貴重なデータでも、所有者がサイトを閉じてしまえば、永遠に消滅してしまうのでしょうね。
    チャットは最初から流れて行くものだから残らないけれど、BBSやブログも所有者が消してしまえば、多くのファンが書き込んで来たライヴの貴重なレポートなども、消えてしまうのでしょうね…。
    昔、私は複数のファンサークルに加入していて、その会報は取ってあるから、資料としては、印刷物の方が安定しているのかも知れませんね。

  2. Bluebellさん
    情報ありがとうございます。
    ネットの発達はゴダイゴのファンにとっても、有益だったのですね。
    Bluebellさんが挙げてくださったサイトの他にも、ゴダイゴを話題にするサイト、ブログ、SNS等がたくさんありますね。ネット上は資料の宝庫です。
    私はかなり長い間ゴダイゴファンから離脱していましたが、ある日突然真夏のゲリラ豪雨のようなゴダイゴ熱を発症し、ふとネット検索をしてみたところ、ゴダイゴを話題にしたページがとても多くて驚きました。ゴダイゴは絶え間なく愛されてきたのですね。

  3. 1999年以降のゴダイゴは、インターネット上での複数のファンサイトで、ファン同士で色々な企画を考えたり、アイデアを出し合ったり、ライヴのレポートを書いたり、オフ会をしたり。東大寺までが、楽しかったですよ(^^)。
    その過程の資料は、STUDIO-G 以外に、Y’s Company・Laugh off 等のサイトに残っているはずです。
    後世のゴダイゴ史の研究者が閲覧できるように、サイト上の資料が、長く保存されると良いですね。

  4. Bluebellさん
    コメントありがとうございます。
    私も『タケデモ』シリーズの続きが待ち遠しいです。
    「999」のデモも残っていたら、聴いてみたいですね。
    スコップ持って、発掘に行きたいくらいです。
    将来、ゴダイゴ学とかできたりして、ゴダイゴ学会が発足するかもしれませんね。
    妄想は限りなく……。(^^ )

  5. tiara_remix さんのような文献に基づいて発言する方の登場が、私には特に嬉しかったように、いつの日にか、日本の音楽の歴史を研究する若い方が、史実に基づいて、ゴダイゴについての論文を書いて下さることが、ゴダイゴの未来への私の楽しみなのです(^^)。
    その方が現れる時のためにも、研究に必要な資料であるタケカワユキヒデさんのホーム・レコーディング・デモ・シリーズには、完結して貰いたいのです。未整理の音源は、まだ残っているようですから…。
    論文を書く訳ではないけれど、もちろん、私も個人的にゴダイゴの曲の最初の形には興味があって、当時のタケカワさんの思いのこもった楽曲を聴いてみたいのですが…。
    タイムマシンに乗って、過去から届いたタケカワユキヒデさんの名曲の数々が発売される日が、これからも楽しみです。
    ディスクユニオンさん、ファイトォ~(^^)!

  6. Bluebellさん
    詳細な情報をいただきありがとうございます。
    Bluebellさんはゴダイゴを歴史学の研究対象としているのですね。ファンの中には音楽的見地から分析する方もいらっしゃるようです。ゴダイゴは多面的なので、色々な分析をされる方がいて、面白いですね。
    ミッキーがジョニーさんから影響を受けているのは、さもありなんですね。なんてったってジョニーさんは強力なブレーンでしたし、プロデューサーとリーダーとして「ゴダイゴ」というバンドをどのようにマネジメントするか密にディスカッションを重ね、コンセンサスを取っていたんじゃないでしょうか(カタカナ語ばかりで申し訳ないです。<(_ _)>)。誰でも意識的にせよ無意識的にせよ、他者の影響を受けずにはいられないものです。(^^ )

  7. 昔、ウォーク・オンの提案に従って、ゴダイゴの作品群を未来に残したくて、大学在学中からゴダイゴを応援するプロジェクト・チームを作って活動して来た私ですが、最近は、ゴダイゴを歴史学の研究対象として見るのが、楽しいです。
    タケカワユキヒデさんのホーム・レコーディング・デモ・シリーズは、未来の歴史学のための宝ですよね。完結できれば、将来、資料としての価値が、さらに上がるでしょうね…。
    昔の私は、テレビや雑誌でのミッキー吉野さんの言葉は、吉野さん自らの考えであると思っていたのですが、最近、回りの人間の言葉の受け売りの場合もあることに気が付きました。だから、昔、ゴダイゴを代表してミッキー吉野さんが話していた言葉も、ジョニー野村さんや奈良橋陽子さんの考えの受け売りだったのではないか?と考えるようになりました。
    その中で、1983年の秋に横浜のシェルガーデンで私が聞いたミッキー吉野さんの言葉は、ゴダイゴの歴史学的考察に役立つ発言だと思うので、書きますね。
    「今、ゴダイゴのアルバムを三枚同時に作ってるよ!」
    聞いた時には、何のことか分からなかったのですが、要するに、ゴダイゴは、あと三枚アルバムを出す契約を日本コロムビアと結んでいて、契約完了でゴダイゴを止めたかったという意味だったみたいです。
    ミッキー吉野さんに死ぬまでゴダイゴを止められなくしたのは、吉野さんの言葉を信じた大勢のファンの力だと思います。特に、神月を創った関西の複数のファンの力が、ゴダイゴを蘇生させたのでしょうね。
    バンドマンがバンドについて言った言葉は、結婚式で神様に誓う言葉に似ているのだろうと思いますよ。

  8. Bluebellさん
    コメントありがとうございます。
    ミッキーが「后醍醐」と書くのは、「配慮」というよりも、中国を意識しているミッキーが単に簡体字(中華人民共和国で公式に使われている簡略化した漢字)を使いたい衝動に駆られたからじゃないかと私は思っています。簡体字で書いた方が、画数が少なくて済むし、何より見た目が中国語っぽい雰囲気がしますからね。本人に聞いたわけじゃないので、ただの妄想ですが。(^^ゞ

    ゴダイゴはたぶん、もう積極的に活動するつもりはないのだろうと私は見ています。名前を維持するためのライブをする程度で。淋しいですけどね。日比谷野外音楽堂90周年のテーマソングだって、作曲はミッキーだけど歌は竹越さんで、ゴダイゴじゃないし。やはり時は流れたなぁ、としみじみ思います。

    ミッキーのBBS (2013/1/18 (金) 09:13 by MY No.20130118091345参照)
    http://godiego.co.jp/index-bbs.html

    上記のBBSによれば、シブコーは未発表ですが、10月にライブがあるみたいですね。
    秋に向けて、500円玉貯金、始めました。(^^ )

  9. ABCDE気持さん
    情報ありがとうございます。おまけに行数まで……(感涙)。
    おおっ!! 確かに『新創世紀』の大貫憲章さんの文章中に「死ぬまでやろう」と書いてありますね!! よく見つけましたね! (^▽^)
    でもさー(なんでタメ口?)、素朴な疑問としてオフィシャルサイトの情報源としてコレを使うかな~? コレは大貫さんが誰か(ミッキー?)から聞いた話を書いたものですからね。話がずれている可能性は否定できない。情報の伝達過程で他者を介在させると内容がずれるのは、「伝言ゲーム」で誰もが経験していることですからね~(「伝言ゲーム」はそこが楽しいんだけど)。というか、オフィシャルサイトなんだから、ミッキーに直接確認するところだと思いますけどね。“GODIEGO”の意味は<後進の育成>のためにとても重要ですし。
    結成当初から「死ぬまでやろう」だとしたら、じゃぁ、1985年の解散は一体何? という新たな疑問が。やっぱり「不滅のスピリット説」がしっくりくるし、カッコイイですな。(^^ゞ

  10. ゴダイゴという名称は、おそらく、ミッキー吉野氏が義務教育で日本の歴史を習った時に、吉野という地名が自分の姓と同じだから、後醍醐天皇の名前を一緒に覚えたことがあって、強い天皇だったのだという印象が残っていたから、日本で自分のバンドを作ろうと思った時に、遠い記憶の底から、名前が閃いたのでしょうね。
    名前を漢字で書く時に、本物に配慮して「後醍醐」でなく「后醍醐」としたセンスが、素晴らしいなぁと思いました…。
    最近のゴダイゴのセンスを観ていると、私の好きだったアカデミックでセンスの良いゴダイゴは、ジョニー野村さんと奈良橋陽子さんが精神的な「核」だったのだと、納得できます。
    1995年に、ミッキー吉野さんは「ゴダイゴを終わりにしたいのに、回りが終わらせてくれない!」と苦しんでいました。
    ゴダイゴの作品を後世に残すために、神戸で「神月」を創っていたファンに頼まれて、私は、終わるためにも再結成しましょうと説得しました。
    1999年と2000年の再結成の後に、ミッキー吉野さんにゴダイゴのビジョンを尋ねたら「ゴダイゴは1999年で終わったんだよ。終わったからこそ永遠になれるんだよ!」と、幸せそうに笑いました。
    今のゴダイゴは、奈良橋陽子さんとジョニー野村さんが創った芸術作品群を後世に残すために、年に一度は活動しているのだと解釈すると、心穏やかに観ていられますよ。
    今のゴダイゴのオフィシャルサイトは、STUDIO-Gの発展型みたいだから、熱心なファンが文章も書いているみたいですね…。
    私の観察によると、プロとして、ずっとゴダイゴだけに専従している人は、今は誰もいなくて、仕事でライヴ等に関わる人以外は、ボランティアとして、ファンがサイト等を支えているというのが、現状なのだろうと思います。凄いことではないですか!
    タケカワユキヒデさんと浅野孝已さんには、ずっと同じ専従のスタッフがおられますが。

  11. デビューアルバム「ゴダイゴ 組曲“新創世紀”」のライナーノーツにある、
    音楽評論家・大貫憲章氏の推薦文の中で、
    (以下、同文58~63行目を引用)
    『どうして、ゴダイゴ(英語ではGODIEGOと
    綴るそうだ)なんてグループ名を付けたのか
    わからないんだけど、(一説によれば「死ぬま
    でやろう」という意があるという)そのサウ
    ンド、音楽性は、その言葉からイメージされ
    るアナクロっぽさや重たさはカケラもない』 
     (引用ここまで)
    との記載があります。「死ぬまでやろう」説は、おそらく以上がその所以
    (オフィシャルサイト管理人氏が引用した)ではないかと。
    とはいえ私も「不滅のスピリット」説が頭に刷り込まれているので(笑)、
    このLPの大貫氏のライナーを読んだとき(ファンになって2年後ぐらいに
    入手した)に違和感を感じたのも事実ですね。

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