これが“Guilty”だ!!!  その2

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これが“Guilty”だ!!! その2
“Guilty”シリーズは、なんとなく繋がっているような感じです。
すごーくお時間のある方は↓からどうぞ。

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Words. words, words.

前回は“Guilty”オリジナル版で甚だしく取り乱してしまった……。

今回は、反省して冷静に“Guilty”を聴いてみよう。

音楽については、音楽に詳しい方にお任せするとして、ここでは3種類の“Guilty”の歌詞に注目したい。

改めて確認しておくと、公式版“Guilty”のクレジットは、作詞がTommyとW. Williams氏(=ジョニーさん)。

作曲は「ミッキーの中学時代からの親友」の野中三朗氏(「ルポ・ミッキーの音楽工房 野中スタジオを訪ねて」『Walk On 35号』 1983年)。

作詞者の一人であるTommyは、『Walk On 41号』の「1983年BEST & WORST 1」コーナーで、「音楽」項目の「BEST」欄に「GUILTY NO DEMO! (「ギルティのデモ!」)」を挙げている。よほどデモ時点から“Guilty”が気に入っていたことが窺える。

Tommyによれば、

「『ギルティ』はね、曲を聴いただけでスグ、インスピレーションが来てそのままデキちゃった。(中略)モトは『Give me a chance』というタイトルだったンだ。えーと、1月5日につくったのね」。(『Walk On 37号』n. pag.)

タイトルは、37号(1983年6月-8月)の時点で、すでに“Guilty”である。上記引用の「1月5日」とは、37号の発行時期から、1983年1月5日だと推定する。ここからタイトルが“Guilty”に変更されたのは、同年の1月から6月の間であることが分かる。

ちなみに公式版“Guilty”が収録されているアルバムFLOWERの発売は、翌年の1984年1月21日。

つまり“Guilty”は、野中三朗氏の曲が先行であり、そこにTommyが歌詞をアテた、ということになる。Tommyによれば、“Guilty”は「(Tommy自身が言いたいことではなく)、ひとの言いたいことを現す(ママ)というパターン」(『Walk On 37号』)。

この「ひと」とは誰を指すのだろうか。野中氏が切ない恋をしていたのだろうか。それとも別の誰かかも、などと想像するのは楽しい。

3種類の“Guilty”の歌詞を比べると、オリジナル版から、部分的に大きく変化しながらリミックス版を経て、公式版に至っていることが分かる。歌詞にメロディをつけても歌詞が変わることが往々にしてあるのだから、曲先行という経緯を鑑みれば、なおさら歌詞が変わるのは当然だろう。

“Guilty”のように、ライブ・TV・ラジオで変更前の歌詞のオリジナル版を聴く機会に恵まれたファンの中には、公式版を聴いた時に相違点に気付く人たちがいてもおかしくない。だがそれはほんの一部だろう。たとえ相違点に気付いていたとしても、経年により彼らの記憶から、そして個人で録音・録画した記憶媒体からも自然劣化によって、変更前の歌詞は消滅する運命にある。

かつてはそうだった。

しかしこの21世紀初頭の2011年、“Guilty”に関しては、リミックス版が『旧BOX』に収録されていることや、現代のテクノロジーであるYouTubeにリミックス版とオリジナル版がアップされているおかげで、どこにいようと、誰であろうと容易に“Guilty”の変遷を聴くことができる。テクノロジーってすばらしい。(*アップ主様に再度、感謝申し上げます。)

Lyrics by

ではここで、“Guilty”の作詞者について整理しておこう。

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『Walk On 37号』にオリジナル版の歌詞が掲載されているが、この時点での作詞者のクレジットはTommy一人である。

ところが面白いことに、リミックス版、すなわち『旧BOX』Vol.4の歌詞カードに掲載されている作詞者のクレジットは、Tommy、W. Williams氏、野中氏の三名である。はじめ、これを見て筆者は、何かの間違いではないかとも思った。なぜならば、野中氏は「ギタリスト」であり(ミッキーのHP 参照。2011年10月22日閲覧)、“Guilty”や”I Can’t Let Go”の作曲者だから、作詞はしないと思い込んでしまった。

だが、よく考えてみれば、野中氏は”I Can’t Let Go”でTommyと共に、作詞者としても名を連ねている。だから、たとえば“Guilty”のように他の曲でも作詞者としてクレジットされても不思議はない。きっと公式版のレコーディング直前までは、詞に関して野中氏のアイディアも入っていたのだろう。

そして、公式版の作詞者クレジットは、前述の通りTommyとW. Williamsの二名である。もちろん、JASRAC登録は、作詞、作曲者ともに、公式版のクレジット通りである。

当ブログ“Guilty”シリーズ(いつからシリーズになっちゃったんだろう……orz)の前半でこだわっていた、公式版のフランス語詞だが、これは多分ジョニーさん、いや、W. Williams氏によるものだろう。(*推測なので、決定的な情報を見つけた方は、出典とともにおしえてください)

2011年のTommyなら、“Guilty”のフランス語詞はTommyかもしれないとも考えられる。しかし、Tommyがゴダイゴのドラマーとして来日する以前に、フランスに住んだことがあるとか、フランス語が堪能であるなどという話は一つも聞いたことがない。だから1984年売のFLOWERレコーディング時には、Tommyのフランス語は、少なくとも歌詞が書けるほどではなかったと思う。

となると、フランス語詞を書いたのはジョニーさんということになる。筆者が「“Guilty”解読のためのフラ語講座」で述べたように、英語詞とフランス語詞のイメージのズレは、それぞれ別の人物が書いていることに起因するのかもしれない。

フラ語詞について

さて、“Guilty”フランス語詞について、『Walk On 40号』に面白い記事を発見した。40号は、ちょうどFLOWER発売の同時期に発行されたものである。メンバーがそれぞれFLOWERの各曲について簡単にコメントしている。

“Guilty”について、タケとミッキーのコメントを見てみよう。
タケによれば、

「ギルティーは歌詞の一部がフランス語に変わったんだ。というのもやっているうちにメロディーやなんかがフランスっぽいなあ、という意見がでてきまして、フランス語のパートをいれよう、と。僕はサビをフランス語にしたかったんだよね。そうするとイメージがはっきり分けられるでしょ。」

いやいや、サビ全部フランス語はカンベンしてください。というか、サビじゃなくて良かったです。あれで自分、いっぱいいっぱいなんで……。

結局、公式版を聴いて分かるように、タケの「サビをフランス語に」というアイディアは、どういう経緯かは分からないがNGとなり、2コーラス目のAメロ、Bメロだけがフランス語になり、公式版となる。

また、ミッキーは次のように言っている。

「ギルティはフランス語が入って、というかフランス語ととりかえたもので、最初のほうは唄がシングルで(唄がひとり分)入ってたんだけど、フランス語はダブル(タケの唄を2回=二人分録音する)でないともたないところがあって、その分、ヌケが悪いよね。」

「ヌケが悪い」を「タケが悪い」と誤読してしまったのは筆者だけだろうか……。

それはさておき。

「フランス語はダブル……でないともたない……。……ヌケが悪い」の意味が今ひとつ分からないが、まぁメロディがどうこうというよりも、フランス語自体の語感の問題ということだろうか。つまりフランス語特有のアクセントの位置や音が、どうしても英語に比べると籠もってしまいがちになる、ということかもしれない。

それでもゴダイゴは、公式版にフランス語詞を選択したのである。

次回「これが“Guilty”だ!!! その3」へ続く。

ゴダイゴ
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