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2015/07/19@南青山MANDALA レポ2

PC2
すごーくお時間がある方は↓からどうぞ。
2015/07/19@南青山MANDALA(DAY1)


2015/07/19@南青山MANDALA(DAY2)
2015/07/19@南青山MANDALA(セットリスト)
2015/07/19@南青山MANDALA 出演:タケ&ふなりん ↓もちろん、あらかた昨日のコピペさ。(^_-)-☆ ・洋楽 “Dschinghis Khan” (Dschinghis Khan)*ドイツ語らしい...

http://tiararemix.blog.rouge22.com/20150719-mandala-repo1/

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邦楽

「夢の途中」(来生たかお)

南青山Mandalaには常設でグランドピアノがある。

↓暗くて見えないかな……。
piano

タケは生ピアノでライブをやろうとサイズを身体で計ったり(なんのこっちゃ?)、ステージのどこに置くかを考えていた。けれども、ふなりんに「全部原キーで歌ってくれるなら……」と言われて、生ピアノは諦めたとか。

タケのその日の調子に合わせて、キーボードのトランスポーズ(転調)をしているという話から-

タケ:第二部の「ガンダーラ」とか「銀河鉄道999」は原キーで歌います!

と、自慢げに。「CDが出たら何が原キーじゃないか確認して」と……。

うまいな。これは新手のセールストークだね。(^_-)-☆

ソロシンガーは、自分にキーを合わせてもらえばいいけど、たとえば、舞台のミュージカルとかオペラの出演者だったら共演者やオーケストラが大勢いるわけで、そのような状況で、自分だけがキーをずらすわけにいかないから、演者自身の自己管理は大変だろうな。そもそも人間なんて不安定な生き物だから、体調を維持するのは並大抵の努力じゃない。オリンピック選手だって、日々練習しなければトリプルアクセルの精度が落ちる。バレリーナは……。かく言う筆者は、恥ずかしながらこの暑いのに夏風邪を引いてしまい、咳がまだ止まらない……。 (( ;*д*))o=3=3 ゴホゴホ

原キーに拘るファンもいるから、タケも大変だよね。

お疲れ。(。・・。)ノ

「与作」(北島三郎)

誰が呼んだか知らないが、人呼んで「ビブラ・スラップのタケ」は、その異名の由来ともなったビブラ・スラップを手に頬を紅潮させている。いや、あれはアッチョンブリケの名残か。

「これでどの曲でも入り込める!」と、タケはむちゃくちゃゴキゲン。

ふなりん:次の休憩で隠しておきます。
タケ:実は3個持ってきてる!
ふなりん:次の休憩でセロテープ貼って、音が鳴らないように……

タケ:ビブラ・スラップはシンバルより使い勝手がよくて……。アレンジしていて、シンバルが唐突なときはビブラ・スラップで……。

タケのソロライブはカバーシリーズが邪魔だけれど、面白い楽器が色々出てくるのはとても興味深い。タケがステージで紹介してくれたり、ふなりんがブログで解説してくれたりするのもうれしい。やっぱりそこらへんはプロならでは。もっと変な観客心をそそる楽器がどんどん出てきたらいいな。

さて、このビブラ・スラップが、間もなく一騒動巻き起こすことになろうとは、この時、誰一人として知る由もなかった。(うそ。昨日と被っている観客は、全員覚悟ができてた)

「与作」のイントロがはじまって-

タケ:(台詞)おーい 日が暮れるぞ~
早く帰ろうよ 与作さ~ん (* ̄▽ ̄)~

昨日に引き続き、タケの小芝居から。ぷぷ。

「出発の歌」(上条恒彦&六文銭)

要は「出発の歌」がポプコンと世界歌謡祭でグランプリを獲ったという結論に行き着くんだけど、そのプロセスを語るタケの話が、筆者には早くて入り組んでてちょっと分らなかったんで、ヤマハのサイトに行って整理してみた。

ざっくりまとめると、こういう話じゃないかな。

「出発の歌」でグランプリを獲る前の年、1970年のこと。「合歓ポピュラーフェスティバル’70」に出場した上条恒彦&小室等は、受賞に至らず、翌年のリベンジを誓う。

その翌年(1971年)、彼等は「合歓ポピュラーフェスティバル’71」に上条恒彦&六文銭名義で出場する。その結果、見事前年の屈辱を晴らし、グランプリを受賞する。

そして同年(1971年)に開催された「第2回世界歌謡祭」に進出し、ここでも「出発の歌」がグランプリに輝く。

タケによれば、「出発の歌」のグランプリ獲得に、タケが貢献していると……。

(。・・。)?
また、このヒトは、いったい何を言いだしたんだろ?

かつてヤマハが主催する「全日本ライトミュージックコンテスト」という大会があった(1967-1971)。

タケはこのコンテストに出場した縁で、高校三年生の時、「合歓の郷音楽祭」の審査員を主催者から依頼された。この辺りの話は、「タケカワユキヒデのMORエッセイ その95 音楽祭と実力試験」(『FMレコパル』1985年、10号、小学館、pp.90-91/『タッタ君現わる』未収録/『タッタ君ふたたび』下巻収録)参照。(ちなみにタケが「ライトミュージックコンテスト」に応募した2曲のうち、1曲は、タケによる作詞の”The Water She Wore”であったことが、2012/12/26のタケソロライブで語られている。)

2012/12/26 タケソロ レポ その2
前回のつづき。 レコードデビュー前に タケはレコードデビューの前に、新宿のライブハウス、ルイードで、あるレコード会社の人に、「やっぱり英語じゃね……」と言われたこともあった。最近、その人と仕事で再会し、こう言われた。 「タ...

タケが言う「合歓の郷音楽祭」とは、「合歓ポピュラーフェスティバル’70」を指すようだ。コンテストの名称は、企画から開催の過程で「カタカナ語の方がカッコ良く見える」のような理由で変わる場合もありえる。だからさほど気にする必要はないだろう。注目すべきは、タケがこのコンテストの審査員であったことである。すなわち、1970年のタケが審査員として上条恒彦&小室等の楽曲を落選させたからこそ、彼等は奮起し、翌年の1971年に「出発の歌」がグランプリ受賞に至ったのである。

【業務連絡】以上の経緯に事実誤認があったらツッコミをお願いします。

「涙のリクエスト」(チェッカーズ)

せっかくタケの足元がガッツリ見える席だったのに、期待のボックスステップがなかった。
残念!

「2015/07/19@南青山MANDALA レポ3」へつづく。

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