1985年のアレ 後編 | Miscellany
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1985年のアレ 後編

「1985年のアレ 前編」のつづき


『週刊明星』(1985)

それにしても解散説の否定には、ずいぶん力が入っていたように思う。

前回見た「MORエッセイ」と同時期の『週刊明星』で、タケは以下のように語っている。

「人によっては『エーッ、まだ解散してなかったの!?』なんて言うんで困るけど、ボクは作詞・作曲からこの世界に入ったし、フラストレーションがたまるとライブで発散してバランスをとってきたんです。そして今回も解散ではなく、休止として個人個人の活動を中心にしようということなんです。いわば原点に戻るだけなんです」

(中略)

「‘78年当時は『ガンダーラ』で引っぱりだこになり、テレビにもどんどん出た。それで単なるロック・バンドのイメージが強くなったが、ボクらは演奏だけじゃなくてCMや映画などに曲を提供する音楽制作グループなんです。それがわけもわからないうちに人気に巻き込まれた。それでここ2年ぐらいは、巻き込まれないようにひとりひとりの活動をメインにしてきた。正解だったと思うんです。」

(中略)

「解散するとかしないとか、白黒つけたがる人は多いけど、ボクらは必要があり求められた時にはメンバーが集まるつもりです」
それぞれが自由な立場でより広い活動を行なうために『ファイナル・ツアー』をもって、ライブを休止することにしたのだと言う。

(中略)

最後にキッパリとタケカワが言い切った。「ゴダイゴは『GO・DIE・GO』―“死んでも行く”の精神は失いませんよ」
(『週刊明星』1985年4月11日号、集英社、p.165)

ほらやっぱり「死ぬまでやろう」じゃないじゃん(ーー;)。あ、それは別の話

解散!

タケの発言全体から「解散」という言葉への強い抵抗が感じられる。

しかしながら、当時これほどまでに解散を否定しておいて、2013/05/17付 『朝日新聞』夕刊でタケはアッサリ「解散」という言葉を使ってしまう。『踊るさんま御殿』(2012/3/6、19:56-)の時だって、「80年代の半ばぐらいに(ゴダイゴを)解散したんですね」と言っている。ゞ(- -;)モ、モシモシ?

タケの中じゃ、1985年のアレは「解散」と決定づけられているようだ。オフィシャルサイトにも、事務所のプロフィールにも1985年の欄に「インターミッションと銘打ち活動を休止…」って書いてあるんですけどね、タケカワさん。

『旧BOX』(1991)

まぁ1985年のアレが解散だったというのは、『旧BOX』(1991)のブックレットを読んだ時に軽い目眩とともに感じてはいた。

――具体的にゴダイゴを解散しようと思ったのはいつ頃のことだったんですか?
ミッキー うーん。客観的に見ちゃえば、タケとヨーコ…の共作体制が崩れた時と、ボクとスティーヴの協調関係が崩れた時。タケとヨーコが一緒に詞と曲を書かなくなったというのは……。
タケカワ 結構早いよ。80年ぐらいから。
ミッキー でもやっぱり、いきなりやめるわけにはいかないしね。ただ、この4人が崩れちゃったら、いいものは出来ないし、出来ても見えてこない。そんな時代だったね。
――ライヴ・アルバム『インターミッション』が出た時にはひとまず解散という表現はされませんでしたけど……。
タケカワ その当時解散が流行ってたから“解散”て言葉を使いたくなかっただけだよ。それもまたねじくれた考え方だけど(笑)。
ミッキ一 気持ちの中では、今いいものができないからやめるっていうだけで、また将来、例えばタケとやることもあるだろうと考えてはいたんだけど、とりあえず区切りをつけたかったからね。まあ、やめちゃったわけだけど。結局、商売に徹せなかったわけだよね。嫌なものは嫌だっていうメンバーが集まってたから(笑)。
(『15周年記念BOX』ブックレット、p.20)

ミッキーは「ゴダイゴを解散しようと思ったのはいつ頃?」という質問をすんなり受け入れている。タケの「その当時解散が流行ってたから“解散”て言葉を使いたくなかっただけ」っていうのは、本心では「解散」のつもりだったというニュアンスが漂う。

もし本当にそうならマスコミやファンに対してずいぶん激しく抵抗をしたものだ。「ハイ、ぶっちゃけ一旦解散します」って発表した方が、話は早かったんじゃないだろうか。こっちも一時的には確かにショックだけど、世紀を超えてまで悶々とせずに済む。

解散報道に対する『Walk On』での釈明や「MORエッセイ」で言葉を費やしての否定も今ではなんだか虚しい。当時は公にできないことがいろいろあったんだろうとは察するけれど……。

やっぱり解散

山崎洋子氏はミッキーを「音楽を商売と割り切ることがなかなかできない」と評し、次のように続ける。

ゴールデン・カップスが「横浜、不良、最先端」などのイメージを背負わされたのと同様、ゴダイゴも「アジア、平和」などの看板を背負わされた。CMソング、ドラマの主題歌など、人気があるがゆえの商業主義的音楽もどんどん作らなければならない。それがだんだんわずらわしくなる。看板にこだわらず新しいものをどんどんやっていきたいと思っても、商売にならなければレコードを出すことはできない。
「ゴダイゴが九年間も続いたのは、三年ごとに契約が更新されたからです。それがなきゃ、ゴールデン・カップスの時と同じようにもっと早く解散してたでしょう。だんだん欲求不満が溜まってくるんですよね」
(山崎洋子『天使はブルースを歌う―横浜アウトサイド・ストーリー』毎日新聞社、1999、pp.205-206)

ミッキーの「それがなきゃ…もっと早く解散してた」という発言から、やはり彼も1985年のアレを解散だと思っていることが分かる。

ゴダイゴは爆発的な人気を得、彼らの周囲にも莫大な利益をもたらした。
しかしそれによって他者の思惑が希代のバンドを侵食していったのだろう。

河の流れが地表を削っていくように

時に激しくしたたかに、時にずるくゆるやかに

今は昔-

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(2008/03/19)
ゴダイゴ

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「1985年のアレ」おわり。

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