1978.8.28. ―その2―

 

juanjo6560 / Pixabay

「1978.8.28. ―その1―」のつづき。

1978.8.28.  ―その1―
夜明けの 以前、YouTubeにChar with Godiegoのライブ映像が数曲アップされていたことがあった。(アップ主さまありがとうございました) 残念ながら、現在では、ほとんど削除されてしまっている模様。 (かろうじて「Girl」は...

前回は、「Char Super Concert with Godiego in Summer」(以下、Char with Godiegoと略記)のセットリストを紹介した。

今回は、それ以外の記事を中心にしよう。

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1978年のジョイントツアー

1978年7月21日愛知勤労会館から始まった「Char with Godiego」ツアーは、全国22ヶ所を終えて、8月28日(月)の武道館で最終日をむかえる。

前回セットリストを引用した『新譜ジャーナル』(1978年11月号、pp.26-27)によれば、開演は16:20、観客は約8千人、「これまでのCharのコンサートにくらべて男性客が非常に多」かったとされている。

オープニングからゴダイゴが演奏し、9曲目の“Celebration”の間奏中にたかれたスモークの中からクレーンに乗ってCharさん登場。

同記事ではゴダイゴについて次のように書いている。

ゴダイゴは終始安定し卓抜された音楽性で演奏を聞かせてくれ、今の日本の状況ではCharにとって今後のツアーを組むうえで、これ以上のかたちのものは望めないであろう。(p.27)

このように同誌ではゴダイゴを高く評価している。
しかし高峰竜氏(って誰?)によるコラムは、Charさんのことしか書いていない。

ゴダイゴのことは一言も触れられていない。
高峰氏はCharさんのファンなのか!?
音楽雑誌なのに、そんな偏った観点でいいのか!??

知名度の差

いや、ちょっと待て。

冷静になってみよう。

筆者はゴダイゴファンなので、ゴダイゴ側からこのライブを見ようとする。けれども、当時のCharさんとゴダイゴの知名度からすれば、この扱いは当然の結果なのだろう。あくまでもコンサートの<メイン>はCharさんなのだ。だから『新譜ジャーナル』の記事の焦点がCharさんにあるのは当然のことだ。

たとえば同誌の記事の題名は「チャーin 武道館」であり、セットリストの見出しは「チャーコンサート曲目」である。

新聞広告だって「Char ウィズ ゴダイゴ」だし。

。。。ρ(-ω- ) イジイジ・・・

Char with Godiego 新聞広告

 

 

 

 

立場の違いは、この新聞広告の文字の大きさから分かる。

ささやかな抵抗を施す前の写真はもちろん、Charさん一人。
(『朝日新聞』1978年6月23日朝刊、東京版p.23)

曲数

全20曲のうち、9曲がゴダイゴ。アンコールもゴダイゴの曲。
しかしながら、セットリストから明らかなようにCharさんとゴダイゴの曲数は、ほぼ同数である。

客観的に見れば、ゴダイゴファンの筆者でさえ、ゴダイゴがCharさんのライブを浸食しつつあるように感じる。Charさん目当てで聴きに行った人たちは、きっとゴダイゴに「この人たち、いつまでやるの?」と不満を持ったかもしれない。

それにこの構成―。Char with Godiegoって、ジョイントコンサートのように、各自の曲を、一曲/数曲単位で交互に演奏したのだろうと想像していたのだが、このセットリストは、筆者の想像が間違っていたことを示す。

なぜCharさんとゴダイゴのパートは、明確に二分されているのか。もちろん、Charさんの曲の時には、ゴダイゴはバックバンドとして舞台上で演奏はしただろうし、コーラスなどでも絡んだだろう。けれども、今、セットリストという無味乾燥なデータだけを冷静に見ると、Charさんとゴダイゴの間に溝が見えるような気がする。

コンサートの最終日だというのに、アンコールはゴダイゴだけでゴダイゴの曲“Take it Easy”を演奏しているのも、気になる。なぜメインのCharさんは出ていないの?

高峰氏(って誰?)は、コラム内でこのコンサート全体とCharさんの印象を以下のように述べる。

もっとおとなしい、ショー・アップされたステージになるかと思っていたけれど、ハードな演奏が前面に浮き出て、リラックスしたコンサートになった。(中略)チャーが自分自身に言いきかせるように、荒々しい感情を表に出したと僕には思えた。(中略)チャーのピリピリした落ち着かない態度は、単なる緊張感ではなく、自意識が強く働いていたからだ。(中略)セッパツマッタようにギターを弾くチャーの姿に、僕は魅せられてしまった。でも、少しせつなさが胸の中に残っている。(p.27)

「荒々しい感情」、「ピリピリした落ち着かない態度」、「セッパツマッタように」という形容から、この時のCharさんに穏やかとは言えない感情があったのではないかと想像する。それは武道館のような広い会場の座席にまで届くほど、強く放出されていたのだろう。

この不自然にも思えるセットリストが当初の契約通りなのか、ツアー日程が進む間で変化していった結果なのかは分からないが、1978.8.28.にツアーの最終日をむかえた本来メインであるはずのCharさんの心中はいかばかりだっただろうか。

孤独な少年

高峰氏の記述を裏付けるようなCharさんのコメントが『日本ロック大系(下)』(白夜書房、1990、p.445)に載っている。

……あの頃のライヴのテープとか聞くと、すごいものがあるね、鬼気迫るものが。俺じゃないものがとりついているみたいな。孤独なただの少年だったんだよね。(中略)それでアイツら本当に絵に描いたようにというか、譜面通りそれが終わったら終わりなわけよ。俺はもうちょっと続けていたいなと思ったけど。ヤツはヤツらの方向性があったんだよな。(『日本ロック大系(下)』p.445)

Charさんはツアー中のゴダイゴとのミーティングでどのようなやり取りがあったかを同書内で詳細に語ってはいないが、個人対バンドという構図に、「1対1万の孤独」を感じていたと言う。

このツアー後間もなく、ゴダイゴは時代の寵児となる。

ビジネスライクな関係

芸能雑誌のゴダイゴの記事には、常套句のように「愛」や「温かさ」や「やすらぎ」という言葉が踊る。

だがその直前には、(事務所の方針もあっただろうが)ビジネスとしてのドライなゴダイゴも存在していたようである。

筆者は何ヶ月か前に、YouTubeでChar with Godiegoのライブを数曲見た。その時に、それまで持っていたCharさんへの印象が大きく変わった。今思えば、この武道館コンサートの前日の演奏だ。

アイドル時代のCharさんしか知らなかった筆者は、彼をただの表面的なロックっぽい歌手だと思っていたのだが、数十年を経て触れた彼の声に心を揺さぶられた。彼の表現に底知れない闇を感じた。錆びた鉄の扉を素手で叩き続けているような果てしない空虚を見た。それはこのようなバックグラウンドからだったのだろうか。

Char with Godiegoのツアー中、Charさんは苦しんでいたのかもしれない。
だが、声にならない叫びは、人の心を打つ。

それでも思う。

Charさんがゴダイゴになっていたら、ゴダイゴのファンになっていただろうかと……。

ゴダイゴ
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コメント

  1. ABCDE気持 さん
    コメントありがとうございます。
    「もしもバナシ」に乗っかって別のアプローチから妄想しますと(^^ )、タケはどちらかというとソロ志向なので、ゴダイゴから離れたとしても、新バンドというよりソロ活動を選んだと思います。

    ゴダイゴは、Char&アサノのツインギターもありえたでしょう。お互いにライバル心を燃やしちゃって、だけどファンにしてみたら、それが二人ともめちゃくちゃカッコよかったりして……。

    私は内心、ウサギさんチーム vs. クマさんチームの歌合戦より、Char vs. アサノの方が超~好きかも。
    そしてCharさんを加えたゴダイゴは、残念ながらお茶の間にはまったくウケないものの、世界で爆発的な人気を得て、YMOのように逆輸入で評価、というシナリオも……。

    いや、妄想、妄想……。(^^ゞ

  2. もし当時のCharの願いどおり、ミッキー、スティーヴ、トミーとの新バンド
    結成につながったとしたら…。そしてゴダイゴの「西遊記」がヒットに
    至っていなかったら…。
    “ゴダイゴは1976年に結成。77年に名盤「デッド・エンド」を残すも、
    翌78年「西遊記」発表直後にヴォーカルのタケカワとギターの浅野が脱退。
    残った3人とCharによるニュー・グループが結成され、○○○○○○~”
    という風に日本のロック史が変わっていた可能性があったということですね。
    4人のニューグループは「ジョニー・ルイス&チャー」の立ち位置を踏襲した
    でしょうし、タケ&浅野組も独自の路線を展開していったことでしょう。
    しかしながら、私たちの知る79年以降のゴダイゴによる大プロジェクト全てが
    実現しなかっただろうと考えると、本当にあの5人組のゴダイゴでいてくれて
    よかった、としか言いようがありません。心からそう思います。

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